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張湛 (北魏) : ミニ英和和英辞書
張湛 (北魏)[ちょう たん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north

張湛 (北魏) : ウィキペディア日本語版
張湛 (北魏)[ちょう たん]
張湛(ちょう たん、生没年不詳)は、中国五胡十六国から北魏にかけての人物。は子然。またの字は仲玄。本貫敦煌郡淵泉県
== 経歴 ==
西涼酒泉郡太守の張顕の子として生まれた。学問を好み、文章を得意として、弱冠にして涼州で名を知られた。北涼沮渠蒙遜に仕え、黄門侍郎・兵部尚書となった。北魏の太武帝が涼州を平定すると、張湛は五十数歳で平城に入り、南浦男の爵位を受け、寧遠将軍の位を加えられた。司徒崔浩と面会して、宗欽段承根とともに河右の俊才とみなされ、礼遇を受けた。張湛は家が貧しく、清廉で汚職をしなかったため、崔浩が衣食を供与した。崔浩は張湛を中書侍郎に推挙したが、張湛は固辞した。毎年、崔浩に対して詩や頌を贈り、崔浩もこれに返句した。崔浩が処刑されると、張湛は連座を恐れて、それらの詩文を全て焼き捨てた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「張湛 (北魏)」の詳細全文を読む




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